大変なことが起きました!!

東北地方太平洋沖地震により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。

テレビを見ていて、16年前の阪神淡路大震災のことが思い返されます。

当時、我が店舗兼住宅は、木造2階建て家屋と、軽量鉄骨3階建ての2つの建物を、ひっつけた構造に成っていました。

木造の家屋は、1階部分が押しつぶされ、2階の梁が機械の上に乗っかり、北側の道路半分まで2階が塞ぐ状態。

3階建ての建物は、20度ぐらい傾いており、この3階で、当時妊娠8ヶ月の家内と就寝しておりました。

地震で本棚やオーディオなどが散乱、足の踏み場もない状態に...

幸いなことにベットの上には何一つ落ちてきませんでした。

真っ暗な中、部屋から出ようとしても扉が歪み、閉じ込められた状態に成りましたが、もし扉が開いていたら、階段が吹き飛んでいたため、がれきの上に真っ逆さまでした....

近所の福山通運さんが、4トントラックを窓の下に着け、その上にはしごを掛けて下さり、荷物用クレーンを使って下に降ろしてもらい、崩れた我が家を見て愕然と....

今でも、家内は、大きなおなかを抱え、はしごを使ってよく降りられたものだと云います。

その時点で、近くの避難所は満杯状態でどこにも行き場がありませんでした....

昼頃、はしごを借り3階へ車の鍵を探しに戻り、駐車場へ向かうも、駐車場隣のマンションは1階がなくなり、車がペシャンコに、ショートした電源で、至る所でクラクションが鳴り響いていましたが、我が車は、後部に隣のブロックが1個落ちてへこんではいましたが、動く状態で助かりました。

つぶれた家の前、車の中で家内と二人、時間とともに北側の火事が、東から西に延々とゆっくりと動いていくのを呆然と眺めていました......

翌朝、日が明けるとともに、北に移動し、連絡の取れた白川台の友人宅へ、ここは、風呂場の壁の一部にひびが入った程度、同じ神戸市内でありながら、別世界でした。

友人宅で一日暖をとり、翌朝早く薄暗い中、大阪の会社に出社する友人と共に六甲山越えのコースを使い、大阪住吉区の家内の実家まで避難しました。

大阪で、車いっぱいの水や食料を買い込み、夜中に義父と共に神戸に戻り、一週間近くは崩れた家から、お客様の預かり物や、使えるものの運び出しでした。

がれきの中から引っ張り出したお預かり物を、大阪の知り合いの同業店で洗い直し、お客様へお渡しできたのは、一週間以上経ってからでした。

3月末まで、友人宅を諸点とし、神戸で集めた商品を大阪で処理してもらい、また神戸へ...

3月15日に大阪で子供が誕生4526gでした。

避難所に入っていないと、物資も、仮設住宅も当たりません。

4月からは単身ワンルームを借り神戸の同業店で処理をお願いすることができました。

幸運にも、翌年3月には新店舗兼住宅が完成、裸一貫、一から出直しです。

しかし、お得意様も半分以下になり、震災後の不景気、未だに売り上げも伸びず、あがいています.......

この度の震災の様子をテレビで観ていて、当時のことを思いだし、胸につまる思いです。

東北地方太平洋沖地震にあわれた方々も、これから大変だと思いますが、共にがんばりましょう!!